Maymaum’story 2018年9月 ○印はお休み
9月16日はマッチの日です。
1948年に日本で、配給制だった『マッチ』が8年ぶりに自由販売となった日です。
『マッチ』が配給制だったなんて驚きですね。
というより、若い方は『マッチ』を知らないかも知れませんね。『マッチ』の役目は、もう完全にライターへと置き換わってしまいましたからね。
未だに、『マッチ』が現役なのは、お寺や仏壇で蝋燭に灯りを灯すときぐらいでしょうか。
共に火を付ける道具のマッチとライターですが
現在はライターの方が主流であることからライターの方が後に発明されたと思われがちですが、実際はマッチよりも先に発明されています。 マッチは1827年、イギリスの化学者、ジョン・ウォーカーが発明しました。塩素酸カリウムと硫化アンチモンの混合物を用いたもので、「friction
lights」の名で発売されました。だが、着火性が悪く、フランスのソーリアが黄リンを用いたものを発明した後は、こちらが広まっていったそうです。
日本のマッチの、そのほとんどが兵庫県姫路市だけで作られています。姫路市周辺は、雨が少なく温暖な気候で乾燥工程の多いマッチの製造に適していたこと、当時日本一の貿易港だった神戸港から原材料の輸入・マッチの輸出ができたことなど、マッチを製造・販売しやすい条件が揃っていました。今では、日本のマッチの約7〜9割を姫路市で製造しているそうです。
一方、ライターは1772年、エレキテルの発明などで知られる平賀源内によって発明されました。それは、「刻みたばこ用点火器」と呼ばれ、 ゼンマイバネを使用して火打石に鉄をぶつけ、 内蔵された「もぐさ」に火花を飛ばし着火させる方式としたものです。形状も扱いやすいモダンな仕上げとなっていたそうです。
日本のライター製造は、汽船乗組員だった本城真玄氏がアメリカでみつけたライターを模して作った、平二段式ライターでした。
日本ではライターといっても判らない人が多いので当時は、
「魔法マッチ」と名付けて売り出されました。(雑学 ぼっくす・一学校楽NAVIより引用)
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