Maymaum’story   2017年12月    ○印はお休み  

 

今月もお休み多くてごめんなさい。

12月6日は「水戸黄門」で知られる水戸藩主・徳川光圀の元禄13(1700)年の忌日です。

水戸黄門は7人いたと言われています。といっても影武者を含めてというのではありません。

「黄門」というのは、昔の役人の位であった中納言の異名のことです。だから、水戸藩で中納言の職位を拝領したお殿様は皆『水戸黄門』になるわけです。

そして、水戸藩では有名な水戸光圀を含め、全部で7人が中納言を拝領しているので、水戸の黄門様(つまり中納言)は7人いたという事になるわけです。黄門は光圀に限らず、平清盛の子・知盛も「平の黄門」と呼ばれるなど、平安時代にもあったそうです。

その7人の黄門様の中では水戸光圀は歴史や医学に精通しており、幅広い好奇心の持ち主だったようです。

「医食同源」を実践していた黄門様は、食に対する興味も大変深く、日本で初めてラーメンを食べた人物といわれています。

彼は他にも餃子やチーズを日本で初めて食べたともいわれています。

『大日本史』を制作し、水戸学と呼ばれる学問の基礎を作り上げました。他にも仏像の保護や社寺の整理など、様々な分野で功績を残してきた人物です。ドラマでは、諸国を漫遊しながら悪を成敗していくイメージが強い黄門様ですが、実際全国どころか江戸からすら出たという記録はないそうです。一番の遠出は、現代の鎌倉までという説が有力です。

そもそも水戸光圀は水戸藩第二代藩主であったため、規則により江戸から出ることが許されてはいなかったらしいのです。

黄門様と旅の友をする助さん・格さんもモデルになった人物はいますが創作上の人物です。

 

年末・年始のご案内

12月30日(土曜日)から新年1月8日(月曜日)までお休みさせて頂きます。今年、一年有難うございました。